7.一般診療における甲状腺機能異常に対する考え方について
(1)甲状腺機能異常時の薬剤使用法
ほとんどの薬剤には、注意書きとして甲状腺機能異常時には医師の指導のもとに服薬する様にとの記載がある。何が問題でどう対処すべきか? について簡単に述べる。
@バセドウ病:バセドウ病の一般例では物質代謝が1.5〜2倍に高まっており、1日の薬剤量が約1.5倍になるよう投与回数を多くするのが適当である。病気の本質から交感神経刺激物質の投与は不適当であるが、禁忌とされる薬物はないと思う。
A甲状腺機能低下症:上記のほぼ逆と考えてよい。薬剤の吸収が遅く、効果の発現が遅いが、代謝が悪く血中濃度が長く維持される。従って、低下症の方が薬剤の投与時には注意を要する。ことに、麻酔時や血中濃度の上昇が危惧される薬物の投与に際しては、効果が出ないからと云って大量投与することは厳に慎まねばならない。やや抑え目の量を早くに投与して、効果の発現まで待つのがポイントである。低下の程度にもよるが、一般的に云って、1日量を規定量の70%と考え、1回投与量、投与間隔を調節するのがよい。
 以上の特徴をご理解頂ければ、甲状腺機能異常時の一般診療に大きな支障なくご対処いただけると思う。
(2)非甲状腺疾患時におけるlow T3 syndrome
low T3 syndromeとは、一般患者に甲状腺機能検査を実施すると、かなりの比率でT3(FT3)の低下が認められる。多くはTSHやFT4(T4)は正常でT3のみの低下を示す。
特徴:
慢性消耗性疾患時に多く、末梢でのT4からT3への変換が障害されることによる。疾患の重篤度が増すと視床下部障害によってTSHも低下し、T4が低下するに至ると一般に予後不良とされる。
良く相談を受けるケースとして、ステロイド投与患者の甲状腺機能異常がある。ステロイドはT4からT3への変換を抑制するのでlowT3は必然である。さらに、視床下部を介してTSHをも抑制する(逆に副腎機能低下ではTSHが上昇する)ので、FT4も低下傾向を示すことが多い。
クッシング症候群でもこの様なデータが良く見られ、いかにも視床下部性甲状腺機能低下症に該当する(TRHに反応する)。

筆者はこのような相談に際して、ステロイドが原因であることが明らかな場合は、患者の身体所見が機能低下状態を示さない限り治療は無用であると返答している。
8.おわりに
 本書は、一般の医家が日常診療で遭遇する甲状腺疾患者の診療に際してご存知おきいただきたいことを、筆者の独断と偏見でまとめたものである。一部に成書の記載と異なることもあると思うが、医学は日進月歩しており、筆者はこの既述の方がより正しいと考えている。甲状腺疾患を含めて内分泌疾患の多くは、身体所見などにかなりの特徴があり、初診時にある程度診断される。医師がこれらの疾患を念頭に置かねば見過ごされ、一旦そうなると正診されるまでに大きな回り道をすることになる。拙い記載で、諸家のご要望に十分対応できていないかとは思うが、本書を手にされる機会に、甲状腺のことをも一度思い起こしていただき、ご診療に反映して頂ければ望外の幸甚である。








【参考文献】

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